第7回水越武
写真家・水越武(みずこしたけし)が北海道東部の森に移住して20年が過ぎた。自宅が長野新幹線の予定地に入ってしまったのを契機に「一度住んでみたいと思って移住しただけ」の北海道だったが、次第に自然の素晴らしさに魅せられていく。
それは『熱帯雨林』、『森林列島』などの話題作を発表し、世界と日本の取材を同時並行することで得られた、世界的視野で見る意識からだったという。
知床の世界遺産面積には、海域部分が海岸線から3㎞まで入っている。
オホーツクからの流氷がプランクトンを育て、それを求めてやってくる魚たちがいる。そしてその魚を追い、アザラシやオオワシたちがやってくる。海岸線まで原始林が存在する陸上は、ヒグマの格好の住み家となり、サケなど海の恵みを食べたその動物の排泄物が森を育て、海へと栄養を返していく。--海と陸が連続的に生命の営みを繋げていることが知床の価値だからこそ、海もまた自然遺産地域なのだ。
季候も地形も厳しかったために、知床の自然遺産指定地域には道がない。そのため標高1600mから海抜0mまでの原生林が存在する。日本で、海岸線まで手つかずの森林が迫っているところは、離島部を除けば、知床以外ほとんどない。
「150年前、明治政府によってなされた開拓以前の北海道は、たぶん世界でも類を見ないような美しい自然の島だったに違いない。生物の多様性に恵まれ、野生の息づかいが聞こえるような大地が広がっていただろう。知床にはそれが残されている。そういう自然が今も存在している場所は地球でも限られてきた」
では、自然写真家・水越にとって「美しい景色」とはなんだろうか。
「耕された文化的な美しさとは別の、自然本来がもっているリズム、緊張感が乱れていないこと。川、海、山、森、一つ一つの生態系が有機的に繋がっていること。管理された富良野のラベンダー畑も天橋立ももちろん美しい。だが私は、野生がむき出しになった、厳しい生のエネルギーが感じられるところに惹かれる」
秋の夜、知床の小さな川で、サケの遡上を撮影するため、野営しているという水越に電話した。今日は冷たい海水の中を潜って体が冷えたので、酒を飲んでいるところだ、と元気に笑う。
日本山岳写真の草分けである田淵行男に師事し、写真生活をはじめ50年が過ぎようとしている齢70歳を超えた大写真家。だが、まだまだ撮り続けたい自然、残したい自然が水越にはあるようだ。
■水越武(みずこし たけし)
1938年 愛知県生まれ。
東京農業大学林学科中退。田淵行男の写真集『高山蝶』に感銘を受け、田淵行男氏に師事し写真を始める。1971年に発表した個展「穂高」で山岳写真界にその名を深く刻む。「生態系からみた地球」をテーマに、山々、森林、動植物の壮大な営みを世界規模で撮り続けている写真家。
1991年日本写真協会年度賞、1994年講談社出版文化賞、1999年第18回土門拳賞を受賞。