第10回菊池哲男
アイデアの源
菊池哲男(きくちてつお)は二十代の頃にはわからなかった「日本の山のよさが、四十代半ばになってからわかってきた」という。
14歳から独学で写真を学び始め、20歳の頃から山岳写真に傾倒。そして、カメラマン兼ライターとして雑誌の同行取材や作家として撮りためた作品を専門誌などに発表していった。
世界各国の山に登り続けてわかったことは、日本の山には潤いがあること。雨が多い日本では、豊かな植生をもち、鬱蒼とした森が育ちやすい。
そして、もう一つの日本の山の特徴は、そんな豊かな自然が、都市のすぐそばに存在していること。
「僕は天文少年として山に登り始めたけれど、高い山ならよく星が見えるというわけではない。たとえば、八ヶ岳は周囲を佐久市・茅野市・北杜市などに囲まれていて、街の明かりで星が見えなくなってしまうこともあるんです」
それは都市が近いことによる光害といえるだろう。特に北アルプスでは、3000m級の山々が、数十万の人口を抱える富山平野に隣接するという日本独自ともいえる状況がある。
しかし、菊池は一人で山の夜を過ごすうちに、逆にその光景に親しみを感じていった。
「明かり一つ一つに生活感があって、ひとり山の中から見る街の明かりはホッとするんです。人は人から離れられない存在なんだ、と感じました」
それから、菊池は街の明かりや人工物を写真に取り込んでいった。
そうしてできたのが、「人のぬくもりのする山岳写真」だ。
写真集『山の星月夜』で発表したその作品たちは、今までの「山岳写真は人工物を避けて写すもの」という常識を大きく覆し、異例のヒット作となった。
この写真を見てもらえばわかるだろう。光に溢れた都市の夜景と雪山、今までにない新たな山岳写真の姿がそこにあった。
作品のアイデアは山で星を撮っているときに思い浮かぶという。
長時間露光で撮影を行う場合、カメラをセッティングしたら、温かい山小屋に戻って寝ていても星は写る。しかし、菊池はカメラのそばを離れないことをルールにしている。
「カメラの横で空を見ながら、次はこういう月の光で、こっちから撮ってみようかなんて考えたりする。そうやって山の夜を見ている時間が、創作活動でもあるんです」
街や人と山が一体になった作品が生み出す温かさを、ぜひ感じてほしい。
■菊池哲男(きくち てつお)
1961年東京生まれ。
立教大学理学部物理学科卒。好きな絵画の影響で、14歳から独学で写真を学んだ。その後、山岳写真に傾倒する。カメラマン兼ライターとして、数々の雑誌やカレンダー、ポスター等で作品を発表。2001年には月刊誌「山と渓谷」の表紙撮影を1年間を通して担当した。2004年からはニコンフォトコンサルタントとして、写真教室などでも活躍。
最初は天文少年として山に登り始めたという菊池は、それまでの山岳写真にはない、街の香りや人工物を取り入れた「人のぬくもりのする山岳写真」で注目の山岳フォトグラファーである。