日本を代表する写真家が撮った、オリジナルプリントが手に入る
写真家列伝 | Photographer biography

第15回前田真三・前田晃

被写体として美瑛の丘の美しさを見出した父と、ともに旅し、写真家となった息子
前田真三 オリジナルプリント 舞い散る霧氷

北海道・美瑛の美しい丘の写真で知られる前田真三。17年間の会社勤めののち、カメラ熱が高じて写真の世界に入った。弟子を希望する者は大勢いたが、生涯、取ることはなかった。「父は豪放磊落だけど繊細な人でしたからね」と息子の晃。晃は、中学生の頃から父について撮影に出かけていた。
「といっても、子供は役には立ちませんよ(笑)。いろんなところに連れていって社会勉強させようということだったんでしょう」

独立して4年後の1971年、真三は自動車で日本を縦断する撮影旅行に出る。九州・佐多岬から出発し、3か月後に北海道・宗谷岬へ至る。東京への帰路、千歳で晃と落ちあう前に、旭川に寄る。そこで知り合いに見せてもらった写真〈農耕具を曳く馬〉の背景にあるカラマツと丘が気になり、ルートを変更。美瑛町と上富良野町の境にある美馬牛峠に向かう。これが、真三の生涯続く美瑛との出合いだった(カラマツは既に伐採されている)。

前田真三 | オリジナルプリント
前田真三 オリジナルプリント 丘のカラマツ林
丘のカラマツ林

上の写真は、その時撮影した丘のすぐ隣の丘。残念ながらこの風景も「均平」といって丘を削る土地改良や伐採によって失われている。
「この付近の土は、火山灰質のせいか、乾くと明るいベージュ色をしています。それが瀟洒な丘の風景により趣を添えています。緑の帯は、秋薪きの麦です。作物は基本的に連作をしません。今年小麦だった畑は、翌年はジャガイモ、翌々年はビートと変わって、同じ場所でも毎年違った風景を見せてくれるんです」
東に大雪、東南に十勝と、山に囲まれた地形のため天気の移り変わりが早く、空の色が様々に変化する。北国の季節感が色に出てくる。
「だから土と樹木と空との組み合わせが新鮮に見えたのです」

晃は大学生になると免許を取り、ドライバー兼アシスタントとして、あちこちを一緒に回るようになる。
「当時はカーナビなんてありませんから、いつどこで撮影したのか、メモを詳細に取りました。国道から生活道路や農道・林道に入り込んで、迷ったりしたこともしばしばあります。二度と行き着けない場所も各地にあると思いますよ(笑)」
晃は、93年頃から独自の撮影活動を開始。真三とも共作展を開いたり写真集を制作したりしてきた。

前田晃 | オリジナルプリント
前田晃 オリジナルプリント 原色の花畑
原色の花畑

「父から写真について教わった記憶はありませんが、“ものの見方”を学んだと思っています。長年、撮影現場に立ち会うなかで、風景の見方や写真の見方を知った。それは、写真の撮り方や、写真集の作り方にもおそらく通じていると思います」

PROFILE

■前田真三(まえだ しんぞう)
1922年生まれ。
総合商社マン時代に山歩きを始めると共にカメラ熱が高まり、1965年、17年勤めた会社を退職。2年後、額装写真のリースを目的とした(株)丹渓を設立。
45歳という異例に遅い写真家デビューとなった。1971年鹿児島県佐多岬から北海道宗谷岬まで、3か月をかけて列島縦断3万キロの撮影旅行を敢行。このとき北海道美瑛町・上富良野町一帯に、“新しい日本の風景”を発見する。1984年日本写真協会年度賞受賞。1986年、美瑛町の廃校になった小学校を改造し、フォトギャラリー「拓真館」を開設。美瑛の人気スポットとして現在でも無料で運営されている。
1996年勲四等瑞宝章受賞。1998年逝去、享年 76歳。

■前田晃(まえだ あきら)
1954年生まれ。
1954 (昭和29)年、前田真三の長男として東京都世田谷区に生まれる。中学生の頃から父の撮影に同行。
1978年早稲田大学卒業、(株)丹渓に入社、大半の撮影で助手を務める。
1983年写真集『一木一草』の編集作業を担当。前田作品のさまざまなディレクションを行う。
1993年頃から、助手という立場を離れて、独自の撮影活動を開始。

■前田真三 常設展
拓真館」(北海道)

■前田真三・前田晃 常設展
茶臼山 高原の美術館」(愛知)


オリジナルプリントとは?

EXHIBITION INFORMATION