写真家列伝 | Photographer biography
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第1回三好和義
「南の島は、ぼくにとっては振り子の真ん中。時々戻っては見直す場所。卒業することはないね」と、久しぶりのモルディブ撮影から帰ってきたばかりの三好和義(みよしかずよし)は、よく焼けた顔から白い歯を見せ、笑った。すぐに沖縄に撮影に出かけるところだという。 -
第2回竹内敏信
「35mmの風景のなかに、日本と日本人の心を写す“写真職人」日本の風景写真の第一人者。そして “バンダナを巻いた写真家”として、アマチュアカメラマンから絶大な人気を誇る竹内敏信(たけうちとしのぶ)。その竹内を語る上で「桜」は欠かせない被写体だ。まるで「日本人の心」を写し取るかのように、日本各地の桜を撮り続けておよそ四半世紀。被写体の向こう側には「美しい日本と、日本人の心」が見えてくる。 -
第3回野町和嘉
「人間の生き様を圧倒的な迫力で写し撮る国際派フォトグラファー」野町和嘉(のまちかずよし)は、国際的に活躍するフォトジャーナリストである。発表された作品集の大半が国際共同出版されており、日本はもとより、国際的な賞を含む数々の賞を受賞するなど、高く評価されている。野町の作品には、国民性や文化の違いを超え、人々に感動を与える普遍的なものが存在するのだ。 -
第4回大山行男
「富士山は美しい。ただそれだけなんです。これしかない、と思ってしまったんですね」だから、売れる富士山の写真を撮ろうとしたことは一度もない。「空は青く、富士は雪をかぶり、手前には美しい花が咲く。そういう写真を撮ってくれと何度も言われました。お前の写真は暗いと(笑)。でもぼくは撮らなかった」 -
第5回山内順仁
ミュージシャンを中心にアーティストの写真やコマーシャルフォトを撮りつづける山内順仁(やまうちよりひと)。「風景写真家ではないので、わざわざ世界遺産を目的に取材に出かけたことはない。すべて雑誌の特集やレコードジャケットのロケで行った」という。それでも今までに100か所近いところを写真に収めている。 -
第6回永坂嘉光
ひとくちに写真家といっても、さまざまなタイプの人がいる。風景、ファッション、グラビア、時流に合わせてテーマを次々に変えて行く人。そして、生まれた土地との縁をずっと守り、その土地の写真を撮り続けている人たち……。高野山に生まれ、育った永坂嘉光(ながさかよしみつ)氏もそんな土地、地域=高野山との関わりのなかで撮り続けている写真家のひとり。 -
第7回水越武
「明治以前の北海道は、世界に類を見ない美しい島だった。自然写真の泰斗が撮る知床。」写真家・水越武(みずこしたけし)が北海道東部の森に移住して20年が過ぎた。自宅が長野新幹線の予定地に入ってしまったのを契機に「一度住んでみたいと思って移住しただけ」の北海道だったが、次第に自然の素晴らしさに魅せられていく。 -
第8回高砂淳二
「東北・石巻出身の海とは縁のない電子工学専攻の学生が世界中の海を潜る写真家に。」もともと海にかかわる仕事がしたかったのですか? との質問に意外な答えが返ってきた。石巻出身だから漁業としての海は身近だったけれど、内陸にある宇都宮大学に進み、電子工学を専攻。海の仕事に就くとは思わなかった。 -
第9回吉村和敏
「夜明けから日没まで、地球を照らす美しい光を追う」「光をテーマに旅をするのが、僕の世界旅行なんです」と吉村和敏(よしむらかずとし)は語る。地球を旅し続ける中で、その目は常に光を意識しているという。『BLUE MOMENT』『MAGIC HOUR』『MORNING LIGHT』の三部作は、時間ごとに異なる光を写した写真集だ。 -
第10回菊池哲男
菊地は一人で山の夜を過ごすうちに、逆にその光景に親しみを感じていった。「明かり一つ一つに生活感があって、ひとり山の中から見る街の明かりはホッとするんです。人は人から離れられない存在なんだ、と感じました」それから、菊地は街の明かりや人工物を写真に取り込んでいった。そうしてできたのが、「人のぬくもりのする山岳写真」だ。 -
第11回水野克比古 紅葉編
それまでモノクロで報道写真を撮っていた水野だったが、カラーで撮影するべきものが何なのかを考えたときに思い浮かんだのが京都の四季だった。「四季の変化は、カラーで表現するからこそ意味がある。とくに、生まれ育った京都の紅葉がいい」そうして水野は京都を撮り始めたのだ。